向田邦子の手紙の誤配可能性一般について

・『存在論的、郵便的』のオチが意外に予想通りで驚いた。
とはいえそこへ到るまでの過程が抜群に面白い。
『キャラクターズ』なんかより『ファントム、クォンタム』なんかよりずっと小説的感動を呼び起こしてくれる一冊。
主役がデリダ。助演があずまん。


柄谷行人『探求Ⅰ』より。
「(前略。マルクスについて語る途中で)商品の価値は、前もって内在するのではなく、交換された結果として与えられる。前もって内在する価値が交換によって実現されるのではまったくない。
 言葉についても同じことがいえる。「教える」側からみれば、私が言葉で何かを「意味している」ということ自体、他者がそう認めなければ成立いない。私自身のなかに「意味している」という内的過程などない。しかも、私が何かを意味しているとしたら、他者がそう認める何かであるほかなく、それに対して私は原理的に否定できない。私的な意味(規則)は存在しないのである。」
ざっくり言うと、自分の書いた文章の「意味(=価値?)」を決めるのは、あなたではなくて、誰か別の人なのだよ、みたいなことを言っている。
自分が思ってたのと違う読み方をされる可能性を許容できる人って、社会的。


向田邦子『無口な手紙』より。
「月並みなことだが、
 簡潔
 省略
 余韻
 この三つに、いま、その人でなければ書けない具体的な情景か言葉が、ひとつは欲しい。」
言わずもがな小説も手紙(誰かが誰かに宛てて書く文章)の一種です。
ってか、自分の小説観がぴったり収まる文章を発見した感銘ってすごい。