小説がぐるぐるするのにうってつけの場所

「金を出せと言われる。
 まるで台詞だと思う。あまりにふつうであまりに出来すぎている。いや、台詞だってもうちょっと捻くれるにちがいない。だったらなんだ。」
(『さようなら風景よ、サヨナラ』(荻世いをら)より)


やっぱりスロースターターだなぁと思う。
書き出しのイメージに長居し過ぎてる感じがする。
こまめに改行や段落変え、話題の転換をしたり、
(「コンビニ強盗」→「芝居」→「コンビニ強盗」→「旅行」→「帰国」)
「だったらなんだ。」とか「いや、関係ないか。」と書いたりして、
書き出しの一行目の感触を吹っ切ろうとしてるのは分かるけど。


それよか一行空けした後に書かれる、


「そして俺が扉から出るとそこはひたすら暗い廊下で、そこはどこかのボロアパートにあたり、俺はここに住んでいる。」


↑これのほうが、句点ごとに描写の対象が変わるから、
音楽で言う小刻みなコードチェンジとか、
映画で言う短いカットの連射みたいに、
読みの焦点がその都度動いて、面白い。


たぶん、読み手と書き手の両方がフィクションの世界に落ち着くまでの、
試運転なんだと思う。
それかもしくは、これは僕の全くの当てずっぽうだけど、
元々の書き出しは↑これで、
「金を出せと言われる。」のくだりは後から付けたんじゃないか。
というくらい、書き出しからしばらく、のらりくらりした記述が続く。


とはいえ次に載ってる『ペットボトル』(宮崎誉子)の書き出しと比べれば、
この小説の冒頭はまだ面白くなる予感がある。
この小説の全貌がまだ把握できないぞ、という感じ。


「どうして突然いじめられるようになったかというと、陰湿ないじめに参加しなくなったからで、ターゲットになって悲しいよりも呆れている。」(ペットボトルより)


宮崎さんの小説の書き出しは、
どうやら深刻な社会問題っぽい「いじめ」という言葉からの、
無駄もなくてあっさりきっちりした連想での言葉選びがなされている。
「どうして突然いじめられるようになったか」の理由選びにも迷いがない。
まるで二次方程式の解を教壇で説明するような手振りだ。
というのは言い過ぎだ、ごめん。
けど「ターゲット」「陰湿ないじめ」「参加」という言葉は、
「いじめ」関連問題の圏内に身を置く人でなければ出てこない、
言うとすれば「内輪の言葉」だ。


なんとなく、宮崎さんは書く前に結論を決めて書いている気がする。
まだ僕はこの人の小説を読んでないけど、たぶん、
「陰湿ないじめ」に遭う主人公や登場人物の「心の闇」が書かれて、
色々揉めて、誰かが助けに来ても来なくても、
最終的にはそこにひと筋の光が差して、希望っぽい終わり方をする、のではないか。


(絶望という言い方で未来を悲観する身振りは、
昔ほど生真面目に演じられることはなくなったけど、
それでももし未来が全て確定事項だったとしたら、
僕たちはそんなのには耐え切れないんじゃないか。
なのに、小説とか映画の世界では予定調和が許されるのは、なぜだ。)


さっき試運転っていう言い方をしたけど、
全ての傑作小説が書き出しの一行目から面白いなんてことはまずあり得ない。
もう十年くらい前に大ヒットしたある小説について、
柴崎コウさんが「泣きながら一気に読みました」と書いてたけど、
でも柴崎さんだって書き出しの一行目からわんわん泣いてたわけじゃないだろう。
(そりゃそうだ)


ひと目惚れの可能性はさておき、ふつうの恋愛が、
「あ。いいかも」→「あ。好きかも」→「あ。愛かも」→「あ。子供欲しいかも」
みたいに推移してくのと似てて、
小説とか映画とかアニメとかって、
だんだん好きになる。だんだん傑作になる。
こゝろ」とか「晩年」の評価は発表当時より今のほうが断然高いわけだし。


さっき試運転っていう言い方をしたけど、とまた書くけど、
全ての小説家が書き出しの一行目からフルスロットルで全力疾走できるわけじゃない。
舞城王太郎さんなんかたぶん、小説書く前に部屋で筋トレとかして、
それから書き出してるから、初めからこんなに↓テンションが高いんだろう(ちげーよ)。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/118631.html
↑新潮社のHPへ飛びます。


一方で荻世いをらさんの小説は、一つひとつの場面や人物の動きを、
丁寧に確認しながら書くというやり方をとっているようで、
(僕はそういう小説のほうが、小説の生成過程に立ち会えるから好きで)
スロースターターなのは強ち欠点ではないな、とも思えるは思える。


明日か明後日僕は、
この小説で気に入った部分の引用だけをする、
というちょっと阿漕(あこぎ)な記事を書こうとしているけど、
それもこれも、小説が(というか全芸術が)、
自分で直に味わってみないとその面白さが分かりにくい類の物事だ。
と思うからです。