「文学」を展示して即売するわけです。

エシャロットっていう、若手のにんにくみたいなのの炒め物がおいしい。
卵としめじと一緒に。母製。(原料はたぶん中国製。)


さて。
来週は『さようなら風景よ、サヨナラ』のことを書きます。
荻世いをらさんのを読んだのは、この小説が最初。
そこから遡ってひと通りこの方の文章は触れているつもりです。
(きっと漏れがあるけど)


デビュー作『公園』はちょっとぎくしゃくしてたし、
受賞後第一作『東京借景』もいかにも「小説」っぽくしようとし過ぎてて、読み切れず、
アキレスと亀』(北野武)のレビューは見事だったけど、
(このレビューのお陰で友達とこの映画を見に行きました)
この小説は掛け値なしに、好い。


……。


さて。
来週は『さようなら風景よ、サヨナラ』のことを書きます。
今日は文学フリマのことを書きます。


文学フリマの概要などは、↓あたりを参考にして頂ければ、と。
これらを越える文章はいまの僕には書けなくて、それなのに書いちゃうと、邪魔になるしね。
http://bunfree.net/
http://www.bungaku.net/furima/
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%B8%B3%D8%A5%D5%A5%EA%A5%DE


というわけで、文学フリマの「感じ」について今日はちょっと書きます。
来週は『さようなら風景よ、サヨナラ』のことを書きます。
(ほんとに、面白いんですよ。↑これ。三回告知する意味はある)
文学フリマを舞台にした小説が広く日本国内に流通している」
なんて噂はまだ聞いたことがないから、
会場の様子・雰囲気については一筆の余地があると思うので。


いきなり話はそれますが、
女の子の上手く言葉にして言えない気持ちを描くのに
うってつけの表現形式が少女漫画だったように、
文字を読まなくても(読めなくても)物語が楽しめる・情報が得られるから、
映画は政治的プロパガンダに重用されたし、
生身じゃない、空想でもない、実体があるようでないという「キャラクター」を描くのに
うってつけの表現形式が(狭義の)アニメだったように、
小説は映像や音や肉体運動で代替しようとするとごっそり抜け落ちてしまう、
その場の「感じ」、その人の「思い」、物事や時間の「流れ」とかを書くのが得意です。


安易な例で言うと、
「それから僕は海岸に出て二時間泣いた。」と書けば書けてしまうけど、
映画で、アニメで、演劇で、漫画で、尺八で、それを表現しようとすると、
なかなか難しい。「早送り」か「字幕:二時間後」みたいなのがどうしても必要になる。
他にも、「町でいちばんの美女」と書けば書けてしまうけど、
いざそれを文字を使わずに表現しようとすると、すごく困る。


上戸彩にすべきか、堀北真希にすべきか、蒼井優にすべきか、
竹内結子か、深津絵里か、小雪か、りょうか、
辻か、加護か、松浦か、安部か、夏目ナナか、蒼井優か、範田沙々か、Rioか、
山口智子か、山口百恵か、中森明菜か、松田聖子か、オードリーヘップバーンか、
クレオパトラか、峰不二子か、ナウシカか、メーテルか、いっそ釘宮理恵か、
綿矢りさか、田中弥生か、ひょっとして舞城王太郎もか、


すごく困る。(チャールズ・ブコウスキーはそれを知ってて小説の題名にしてる。)


だから文学フリマを舞台にした小説を書いても一興かもしれないし、
よくよく探してみれば、まだ誰も書いてないことって
(面白いかは別にしても)けっこうすぐに見つかる。


話を戻すと、そういえば、
文学フリマって?」と友達に訊かれて、
「ひと言でいうとコミケの文学版ですね」
「へぇ…。コミケって?」
と追い討ちを喰らい、あたふたした記憶がありますが、
「『文学』の展示即売会」ということで、経営・開催方式も、
コミックマーケット(通称コミケ)に負うところが多いようです。


1団体につき1つ見開き新聞紙くらいの大きさした机がもらえて、
その机が会場に「回」の字みたいにずらっと並んでて、
それぞれの机には手製のレビューとかチラシとかフリペとか、
手製だったり印刷所に委託してたりの同人誌が積まれてて、
どちらかと言えば内気そうな人が笑顔で立っていて、
その前には立ち読みとかお買い上げの人が数人。
団体同士顔見知りなこともちょくちょくで、
挨拶周りとか、ひやかし周りとかもあり、
音楽が鳴ってるわけでもないのにがやがやしていて、
特売日で夕飯前のスーパーくらいの賑わい。


といった「感じ」です。
確か『げんしけん』(木尾止目)にコミケの場面があったと思いますが、
あの賑わいをもっとぐっと大人しくして、会場も小さめにした体。
(行ったことないんです、コミケ。すみません。)


コミケとの大きな違いは、こんなところなのかなぁ。
1.扱う同人誌の中味(文芸誌がほとんど)
2.文フリ出身の小説家がまだいない(高橋文樹さんも厳密に言うと違うと思う)
3.コスプレができない(文フリのFAQにて明記して禁止されています。)


とはいえ短歌界や現代詩界では積極的に
この場を利用している人がそこそこいるみたいで、
『郵便的 存在論的』というすごい小説の書き手、東浩紀さんが、
東浩紀ゼロアカ道場」という企画の一環で
去年は批評・論考系同人誌のコンペをしてたし、
十年後に文芸界の一翼を担う勢力にまで育つ可能性だって、
あるかもしれない。ないかもしれない。


確かに売られている雑誌の質は向上の余地がぜんぜんあるけど、
勇敢にも二十一世紀に「文学」をしようと試みている人たちの「リアル」が見える。


従来の出版形態では採算が取れないかもしれないけど、
「伝わりやすさ」に感性が磨耗される以前の、
「差し障りのない表現」に駆逐されない、
(たぶん本人にとっても)矛先の定まらない気持ちが
ちょっと濃過ぎなくらいぎゅっと詰まった文芸誌が買える。


そういう「場」って、日本には今のところ
文学フリマくらいしかないのかなぁ。


ともあれ、文学フリマは5/10(日)に大田区産業プラザPIOで行われます。
早稲田文芸会でも『季刊わせぶん春の青本』を鋭意作成中です。
ブースでの委託販売も受け付けております。
冊子欲しい、っていう方は、当日会場にお越し頂くか、
早稲田文芸会の公式連絡先までご一報下さい。