たまにはこういう、ガチで日記っぽいのも
1.荻世いをらを「平成の国木田独歩」だなんて言っちゃうのは、
「私は『武蔵野』しか読んでおりませんけど何か?
『Beaf & Potato』って、jim jarmushの新作か何か?」
っていうアクロバットな告白なんでしょうか。。。
(『さようなら風景よ、サヨナラ』をGoogle先生はまだちゃんとご存知ないようです。。。)
2.とか言いつつも磯崎憲一郎さんは「二十一世紀日本の優しいカフカ」だと思う。
(チェーホフを読んだカフカ。保坂和志を読んだカフカ。)
3.荻世いをらで検索して3,120件、
ジョルジュ・ペレックで検索して3,230件、
青木淳悟で検索して8,300件、
石田衣良で検索して55,900件、
村上春樹で検索して2,710,000件、
初音ミクで検索して8,590,000件。
Googleで検索して2820,000,000件。
(Google先生。。。)
4.枡野浩一さんの言葉選びの(戦略的)素朴さには
批評性(=文芸の伝統とのつながり)を感じるのに、
kikiさんの言葉選びの(戦略的?)素朴さには
歴史性(=文芸の伝統とのつながり)を感じないのはなぜ?
(かんたん短歌。感歎短歌?簡単担架?肝胆炭化?)
5.『あたし彼女』の文体が生きているその生命線が
改行の精度にあることはたぶん間違いないんだろうな。
あと言葉を削ぎ落とす勇気。たぶん切実さ由来の。
(読まれたい人。書きたい人。読みたい人。読ませたい人。)
6.つーかそもそもケータイ小説を語りたいんだったら、
少なくともケータイ小説の書き手と同じ言葉を話すべきじゃないのかよ。
(日本語=国内共通語とかいう幻想。傲慢さは批評の宿命?ケータイ小説書いてみよっかな。)
7.万葉歌人が誰に向かって歌詠みをしていたか考えることは、
ケータイ小説家が誰に向かって言葉を吐き出しているか考えるのと
似ている気がしてならない。誰かと誰かが手を握っている気がしてならない。
(あるいは人はなぜ言葉を話すのか)
8・カフカの不幸を嫉むな。
(当人たちも「なんかちょっと可笑しいね」とか思いながらしてるのだろうから、
人のセックスは優しく笑ってあげて欲しい)
9・村上春樹さんのスピーチより、石原慎太郎さんの選評より、
kikiさんの「お礼」のほうが、読んでて胸に来るのはなぜか。
「自分のHPもblogも無いあたくし
なので
ここだけのスタート
ここだけの居場所
一人でも読んでくれればいいな・・・
そんな事を思ってこの場所で書いていました」
(「You know me?」ってめっちゃ早口で言うと「湯呑み」になる。)
10.『物語批判序説』(蓮實重彦)を昨晩読んだ影響。
女子高生が蓮實重彦さんのぼやきを群像で読んで、
「はすみんってばまぁた何か言ってるしぃw」
なんて言う時代は、来ないんだろうなぁ。。。
(どーして蓮實さんの文章はこんなにもチャーミングなんだろうね)
11.聖書やら辞書やらカレンダーやらの作り手からすれば、
すべての文筆家は「売れない」書き手だ。
(つまりあなたは「誰」に読まれたいのか?)
12.「誰にも読まれない小説」に寒気を感じる平成世代の荒涼。
(病み上がりとかで久々に人と会うと無駄に饒舌になりますよね。)