明日は読書会ですよ

明日は読書会ですよ。Iくんが「方言小説特集」をするそうですよ。


上級生に先行公開したレジュメを読んでみたんだけど、けっこうフォーマルな取り揃えみたい。(Iくんが新入生用に20部くらい刷って来てくれます。)


(「フォーマル」というのは、きっちりした・あらたまった場でも名前を挙げられる・娯楽よりも教養で読まれることがある、くらいの意味です。「純文学」なる言葉の使用で頭んなかにわらわらと「純文学定義不可能性問題」なるものが湧き出して来るのが嫌な、言葉に対してちょっと神経質に過ぎる書き手による逃げの一手。)

林芙美子『風琴と魚の街』
野上弥生子海神丸
絲山秋子『逃亡くそたわけ』
谷崎潤一郎『卍』
田辺聖子ジョゼと虎と魚たち
川上未映子『乳と卵』
大江健三郎『燃えあがる緑の木』『治療塔』『私という小説家の作り方』
夏目漱石『坊ちゃん』
遠藤周作『海と毒薬』


全ての小説についてじっくり腰を据えて論じれば一家三代分くらいの暇つぶしにはなるでしょうが、レジュメは上記の小説からの断片集になってます。長いと数頁。短いと数行。


僕が読んだことがあるのはこの内の半分くらいですが明日は行きます。
というのも、編集工学的に考えるまでもなく、

好きな小説家の人数<読んだことない小説家の人数


という命題は覆らないだろうから、一人の人が一生のうちに読める本というのは当然限られてくるわけです。


例えば僕は将来、(必修だから)古事記は通読できても、
原初年代記は読めないかもしれない。
旧約聖書だけで手一杯で新約聖書は流し読みになるかもしれない。
N目漱Sは読破してもMO外は後期の事実小説だけになるかもしれない。
西尾維新の既刊を3周するだけでも高校生活は終わるでしょう。
京極夏彦全著作を暗記できるかと言ったらそれは無理。
さらには映画も漫画もアニメもニコ動もYou tubeも……なんて全てを消化して理解してなお誰かを愛そうなんて無理無理無理無理。


実際にはそれほどでもないのに、見かけでは人生の選択肢が増えているような気がしてならない日本の10代〜20代の若者は、それでも無茶して手当たり次第に文化的生産物に手を伸ばして、学術的背伸びのみならず、あわよくば知識だの教養だので肥満しようとするわけですが、


でもって近隣の誰彼が自分の知らない本に感動して絶賛してるのを見ると、なんか自分がみすぼらしくなって劣ってるように思えて悔しくなって、爪先をぷるぷるさせながらの不毛な背比べ、パワーゲームが始まったりなどもするわけですが、
(どうしたらいいか? どうしようもない。だって文化消費経済圏内居住者だもの。)


そんななかで、自分以外の誰かが自分の知らない本を読んで、何を感じ、何を考え、何を選び、何を捨てたのかを聴くことによって、何かを得る・考える・感じることは、自分でじっくりすごく深いところまで潜っていって時間を費やすよりも、全人生的なスパンで見たら、意外にお得だったりするかもしれないですよね?


そういうわけで、Iくん、期待しているよ。
こないだ小説読ませてもらった時の感想もそうだったけど、今年は僕は辛口で行くよ。