ためらいながらにフリータイム

という題名で今日は、
岡田利規さんがいま現在、
webちくまで連載中している小説、
『フリータイム』について書こう
と思っていました。
(詳細はhttp://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/をご覧下さい)


フィリップ・トゥーサンというフランスの小説家の『ためらい』というなど小説から
文体を上手く吸収して消化してモノにしてるね。
ミラン・クンデラさんっぽい疑問符の立て方を、
けれどももっと繊細な(臆病な?)手つきでしてるよね。
とかそういうことを書こう
と思っていました。


その後で、
けどこういう、
影響とか模倣とかを指摘するだけで
得意げな顔をする文章なんて、
そんなの批評でもなんでもない!
戯曲『フリータイム』と小説『フリータイム』を較べて
「小説も書けるんだぁ」なんて言うのとか、
そんなの批評でもなんでもない!
なんて強気なことを書こう
と思っていました。


批評っていうのは、
ある小説が辿った道の始めから終わりまでを
(ストーカーみたいに)追っかけ直すことじゃなくて、
その小説をさっさと追い抜いて、
「そんなとこで停まってんなよ!」とか
「お前の進む道はそっちじゃない!こっちだ!」とか言って、
その小説の辿った道の行く先を示すような
身振りが求められるのだ!
みたいなことを書こう
と思っていました。


なのにさっき、お風呂上りにPCを見たら電源が消えていて、
妹に「使ってないと思ったから消しといたよ」
と言われました。下書きが全焼しました。


というわけで今日は寝ます。